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近松門左衛門が中国は明朝の遺臣の忠義な姿を『国性爺合戦』という時代物浄瑠璃として書き下ろし、それが竹本座で上演されたとき(江戸中期:1715年)、この芝居がブームとなり、主人公の和藤内と日本人の母親、そして中国大陸の人喰い虎の三竦みを基本とする「虎拳」という遊びが人々の間に流行しました。
その源流にはもともと大陸から渡来した「本拳」と呼ばれるものがありました。これは向かい合って座った二人の人がそれぞれに片手の五本の指の開縮で六変化をあらわし、二人の合計数をゼロから10までの中国語ですばやく答えあうもので、元禄時代に長崎にもち込まれて酒宴の席で遊ばれたものでした。
本拳が虎拳となり、さらに藤八拳、庄屋拳、狐拳と呼ばれるものになりました。狐拳は、庄屋・猟師・狐の三竦みです。虎拳、狐拳が庶民生活にはいり込み、幼児、児童の遊びとして「虫拳」がはやりだしました。それはナメクジ、蛇、蛙の三竦みです。ナメクジはヌメラヌメラとした粘液の線を地面
に引き、蛇がこれを嫌い困らせるので蛇に勝ちます。蛇は蛙をのみ込みますので蛙に勝ちます。蛙はナメクジの粘液の線をピョンと跳びこえるのでナメクジに勝つという訳です。しかしこれはいかにも気味の悪い陰気臭い感じのするものでした。
そこへ誰が考えだしたのかはよく分かりませんが、都会的で明るく日常的な石・ハサミ・紙の三竦みがでてくると、「石拳」とはじめによばれたこの遊びは「じゃんけん」(両拳のなまり)という掛け声のままにアッという間に全国的に広まり、さらに、アジアの多くの地域に浸透していきました。この虫拳から石拳へ、そしてアジアへの普及の時期は、明治中期から昭和のはじめにかけてでありました。
じゃんけんのハサミを親指と人差し指で示すのは日本式の握り鋏(和鋏)をかたちどったもので、人差し指と中指であらわすのは裁ち鋏とよばれた西洋鋏に由来しています。西洋式のラシャ切り鋏の日本への導入は明治以後で、洋服裁縫の技術伝来とともにやってきました。いまでも地方にいくとその名残りのじゃんけんに出合いますが、文化の伝播のおそい地域ほど昔の生活文化が大切に保存されています。
ミッキーマウスやベティちゃんというアメリカ漫画が大流行した第二次世界大戦前の日本では、「ベティ・ミッキー・クーロ」という掛け声が使われたり、戦争中には「軍艦・沈没・破裂」が使われるなど、じゃんけんはいつも世相を反映してきました。
もう一つ「足ジャン」というのがあります。冬の寒い日にポケットに手を差し込んだままで両足の前後左右への開閉でじゃんけんをして、紙で勝てば10歩進む、石なら五歩、鋏なら二歩というふうに進むので「歩きジャン」ともよばれます。
足で跳びはねて移動することになれば、これはもう立派なスポーツ文化の一つであると考えられます。でも、近松門左衛門も自分の作品がこんなところにまで関与するとは考えなかったことでしょう。
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